湖北への旅(後編) [滋賀]
さてあくる日の朝、早起きのわたし達は朝食前の散歩に出ることにして、
「まだ傍で琵琶湖を見てない」という友人の言葉に従い、
夜中に降った雨に濡れた道を豊公園に向けて歩きました。
「まだ傍で琵琶湖を見てない」という友人の言葉に従い、
夜中に降った雨に濡れた道を豊公園に向けて歩きました。
途中、シツコクも可愛い白い花が見れないことを恨めしげに川面をのぞきながら、
長浜鉄道スクエアに到着しましたが早朝のため門は閉じられたまま・・・
長浜鉄道スクエアに到着しましたが早朝のため門は閉じられたまま・・・
現存する日本最古の旧長浜駅舎は、明治15年に新橋駅を模して造られましたが
意外なことに東京駅より先に造られ、初代駅長は後に東京駅の初代駅長となった高橋善一です。
開館していれば駅長室や一等二等待合室など見学でき、機関車の運転台体験もできます。
わたしも以前、見学しましたがドラマの中のワンシーンのようで面白かったです。
意外なことに東京駅より先に造られ、初代駅長は後に東京駅の初代駅長となった高橋善一です。
開館していれば駅長室や一等二等待合室など見学でき、機関車の運転台体験もできます。
わたしも以前、見学しましたがドラマの中のワンシーンのようで面白かったです。
そしてその長浜鉄道スクエアと向き合ってあるのが慶雲館です。
こちらは明治天皇皇后両陛下が京都行幸啓の帰路に大津から船を利用して、
長浜から鉄道に乗り換えるということで、しばしの滞留場所として使われましたが
今では毎年1月から3月にかけて開かれる長浜盆梅展の会場としても有名です。
ただこちらも門は閉ざされたままで内部の見学はまたの機会に・・・
長浜から鉄道に乗り換えるということで、しばしの滞留場所として使われましたが
今では毎年1月から3月にかけて開かれる長浜盆梅展の会場としても有名です。
ただこちらも門は閉ざされたままで内部の見学はまたの機会に・・・
そんな訳で先へ進むとこんな可愛い車止めが~
そうこの鴨の飾りの中が江戸時代末期に廃城となった長浜城跡に作られた豊公園で、
昭和58年に復興されたお城の中は長浜城歴史博物館となっています。
昭和58年に復興されたお城の中は長浜城歴史博物館となっています。
以前、こちらも訪れましたが、天守閣からは琵琶湖が一望でき、
ナカナカの眺めだったのを憶えています。
ナカナカの眺めだったのを憶えています。
ところで、この辺りが長浜城天守閣跡ですが、
先頃、この近くの湖底で国内初となる水中建物遺跡が発見されましたね。
何でも江戸時代の祠の跡だそうですが、
文政2(1819)年の文政近江地震で水没したと判断されたようです。
M7.2前後で水没なんて、沢山の方が犠牲になられたことでしょう・・・
先頃、この近くの湖底で国内初となる水中建物遺跡が発見されましたね。
何でも江戸時代の祠の跡だそうですが、
文政2(1819)年の文政近江地震で水没したと判断されたようです。
M7.2前後で水没なんて、沢山の方が犠牲になられたことでしょう・・・
さて、そうやって清々しい空気で胸イッパイになり散歩から帰ると
ちょうど朝食の時間となっていました。
ちょうど朝食の時間となっていました。
決して、温泉宿のような豪華なメニューではないけれど、
朝からそんなに要らない我々にとっては、質も量も申し分なく、
とても美味しく完食させていただきました。
そしてその後、サッサと帰り仕度をしてチェックアウトし、
9時過ぎには長浜を後にし今度は彦根を目指しました。
朝からそんなに要らない我々にとっては、質も量も申し分なく、
とても美味しく完食させていただきました。
そしてその後、サッサと帰り仕度をしてチェックアウトし、
9時過ぎには長浜を後にし今度は彦根を目指しました。
さくらは勿論だけど、本物のひこにゃんにも会えず寂しい限りでしたが、
ひこにゃん人気は県外どころか国外にも波及してるようで、
偶然にも金髪イケメン観光客が見付けるなり笑顔で走りより、
ツーショット写真を撮ってもらっていたのがとても微笑ましかったです。
ひこにゃん人気は県外どころか国外にも波及してるようで、
偶然にも金髪イケメン観光客が見付けるなり笑顔で走りより、
ツーショット写真を撮ってもらっていたのがとても微笑ましかったです。
そして天守の内部を見学して、
その後は、前回は行けなかった彦根城の北側に位置する玄宮園へと向かいました。
その後は、前回は行けなかった彦根城の北側に位置する玄宮園へと向かいました。
サスガに北側!苔むした石垣を珍しく思いながら、
こちらも結構急な下り坂で、転ばないように注意しながら歩くこと数分・・・
先ずは、新しい瓦が美しい旧藩主の下屋敷である楽々園を見ることにしました。
ちなみに井伊直弼も1815年10月29日にこちらで生まれたそうです。
こちらも結構急な下り坂で、転ばないように注意しながら歩くこと数分・・・
先ずは、新しい瓦が美しい旧藩主の下屋敷である楽々園を見ることにしました。
ちなみに井伊直弼も1815年10月29日にこちらで生まれたそうです。
先の楽々園と共に「玄宮楽々園」として、
国の名勝に指定される旧彦根藩主井伊家の大名庭園で、
かの唐を治めた玄宗皇帝の離宮を参考にした池泉回遊式の庭園ですが、
ナンと言っても、あの美しい天守が借景となっているのが見事でした~
国の名勝に指定される旧彦根藩主井伊家の大名庭園で、
かの唐を治めた玄宗皇帝の離宮を参考にした池泉回遊式の庭園ですが、
ナンと言っても、あの美しい天守が借景となっているのが見事でした~
そうやってその後は、前回と同じくたねやに立ち寄り買い物をしてから、
夢キャッスルロードを通り彦根駅まで戻るつもりだったのですが、
何処でどう間違えたか?随分と南へ下り過ぎてしまい、
駅方面に戻るのに思いの外時間がかかりドキドキでした~
夢キャッスルロードを通り彦根駅まで戻るつもりだったのですが、
何処でどう間違えたか?随分と南へ下り過ぎてしまい、
駅方面に戻るのに思いの外時間がかかりドキドキでした~
う~ぅん、最後の最後に時間をロスしてしまい残念でしたが、
その間、久しぶりに二人でいろいろ話すことが出来、
それもまあ良しとして、早めに帰途に就いたわたし達でした・・・
その間、久しぶりに二人でいろいろ話すことが出来、
それもまあ良しとして、早めに帰途に就いたわたし達でした・・・