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瀬戸内へ~鞆の浦編 [広島]

年末には奈良でお豆腐料理を満喫したcollet姉妹ですが、
年が明け、今度は我が家恒例の温泉[いい気分(温泉)]旅行に瀬戸内へと出掛けました。
行先は、埋め立て架橋問題で何かと騒がしく・・・
また、宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」の舞台の下敷きとしたことでも有名な
広島県福山市にある鞆の浦(とものうら)です。

じつは、こちらに美味しいお食事がいただけるお気に入りの宿があり、
以前より何度か、家族で出掛けていたのです。
それで今回、久々にお邪魔したのですが、お料理が益々美味しくなっててビックリ~[ぴかぴか(新しい)]
ただ、カメラのバッテリー切れもあり、近々再訪の予定もありますので、
宿の紹介はその折にということで・・・

というわけで~何度も訪れているだけに、
今更観光することもないな~との思いだったのですが、
じつは、こちらは坂本龍馬率いる海援隊が乗船する「いろは丸」が
紀州藩の船と衝突し、沈没した地でもあり・・・
昨今の龍馬ブームの影響か?数年前にはなかった龍馬関連の展示館なども増え、
龍馬には何ら興味ないわたしですが、早い到着だったこともあり、
ちょっと街中を散策することにしたのです・・・

それで先ず向かったのは、真言宗のお寺である福禅寺にある対潮楼(たいちょうろう)です。
あっ、でもその前に・・・
その福禅寺の石垣の下に、万葉の歌人である大伴旅人が詠んだむろの木歌碑があります。

1.jpg

わぎもこが見し 鞆の浦のむろの木は とこよにあれど 見し人ぞなき

いやぁ~恥ずかしながら[ふらふら]これだけを見てもナンのこっちゃ?なわたしですが~[あせあせ(飛び散る汗)]
その傍にあった解説によると・・・
当時、鞆の浦は遣唐使も立ち寄るほどの瀬戸内海交通の重要な港だったんですね。
それで、730(天平2)年に大伴旅人が太宰府での任期を終え、都へ帰る途中、
行きはここ鞆の浦で、妻の大伴郎女も一緒に神木のむろの木に海路の安全を祈ったのに、
その妻は太宰府で亡くなってしまい、それを嘆き詠んだそうで・・・
うぅ~ん、何とも切ない最愛の妻を偲んだ歌なんですね~~[もうやだ~(悲しい顔)]

2.jpg

そんな夫婦愛を詠った歌碑の上にある、こちら対潮楼は、
1690年頃創られた客殿で、朝鮮通信使が毎回宿泊していたそうです。
それで、ここからの景色が日本で1番素晴らしいとして、
「日東第一形勝」と賛辞を書き遺しているんですね。
わたしも紅い毛氈が敷かれた場に座り、眺めた景色が下の写真ですが、
確かに額縁に縁取られた1枚の絵画のようでした~[手(チョキ)]

3.jpg

そして、この対潮楼は龍馬とも関連がありまして・・・
例のいろは丸事件のときに、龍馬と紀州藩の重役との交渉の場として使われたそうです。
確か、この事件は龍馬の全面勝利だったと思いますが、
紀州藩も相手が悪かったですね~[あせあせ(飛び散る汗)]あの龍馬じゃね~[ふらふら]
なお、この時沈没したいろは丸は海底20mで発見され、
今は水中遺跡に指定されてるそうですよ。

4.jpg

こちらは平成いろは丸が仙酔島へ向け出港した所で、
向かいに見えますのは海上の守護神、弁財天を祀る弁天島です。

それと、ここ対潮桜にはこんな珍しい物もあり、
ガラスが反射して見難く申し訳ないですが、こちらの写真です。

5.jpg

毎週、TV東京の「開運!なんでも鑑定団」をご覧の方なら、
添え書きを読んでお解りでしょうね。
これに写る幕末維新の志士達の顔ぶれもスゴイことながら・・・
この写真を写したカメラマンが上野彦馬だということに注目で~~[ひらめき]
わたしは先日の放送を見るまで何も知りませんでしたが、
あのよく目にする、立ち姿の坂本龍馬の写真を撮ったのも上野彦馬その人で、
明治天皇をはじめ、沢山の著名人を顧客に持つ明治時代の一流カメラマンだそうですね。
そういうわけで、先日の放送でも彼の写した写真はエラク高値がついてたもので、
景色共々、この写真にも見入った次第です~[目]

その後、お正月ということで、
鞆町特産品の薬用酒である「保命酒」で財を成した太田家住宅もお休みで見学できず、
軒先に吊るされた杉玉を眺めるだけとなりましたが、
江戸時代には北前船で栄えたという町並みをしばし散策することにしたのです。

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7.jpg 8.jpg
9.jpg 10.jpg

こうやって歩いてみると、同じ江戸時代からの町並みでも、
やはり港町、先日の奈良町の景色とは違うなァ~なんて思いばがら・・・
最後に、港の常夜灯としては日本一の高さを誇り、
ここ鞆のシンボルでもある灯籠燈で宿へと折り返したのでした。

11.jpg

あ~それにしても・・・
我が家の車もこちらの道幅の狭さに泣かされたことがありますが、[あせあせ(飛び散る汗)]
このままじゃ~確かに!
ここに暮らす人達にとってこの狭い道は、切実な日常問題ですよね・・・

と、ここで鞆の浦編は終わり、次の尾道編へとページをめくっていただけますか?

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あしあと 13

コメント 12

よしあき・ギャラリー

京都にいたとき、中国地方の歴史をたどる旅にあこがれましたが、バブル真っ盛りの忙しい時期に重なり頓挫してしまいました。
縁がなかったのでしょうが、やはり残念ですね。
そんなことを思い出してしまいました。
by よしあき・ギャラリー (2011-01-13 14:02) 

maki

むかしながらの街並みは旅行者にとっては喜ばしいけど、住民の人にはたいへんですよね、、。
その辺、便利にするだけじゃなくて、もっと政治が介入して、美しい街並みを残しつつ、暮らしやすくすることをしていかないといけないと思います。

なんとも情緒溢れてステキです。
そしてきっとずっと変わっていないんだろうな~と思える海も!
by maki (2011-01-13 23:13) 

まぐろ

勉強になりますね。
やはり訪ねる場所の下調べが入念だと
また旅も楽しいものになりますね。

↑確かに、普段住んでいる人たちにとっては道が狭いのも大変ですよね。
しかし、素敵な町並みです。
by まぐろ (2011-01-14 06:58) 

collet

★よしあきさんへ
縁がなかったなんておっしゃらず、、、
関東の友人には、瀬戸内海は利根川のようだと言われましたが~(~o~)
しまなみ海道も見所が多いので、ぜひお出掛け下さいませ~

それから尾道では、よしあきさんが描かれるような、
懐かしいスターの写真も見て来ましたよ~(^^♪

★とみっちさんお立寄りありがとうございます~~(^^ゞ

★Reiさんもどうもありがとう~~(^^♪
by collet (2011-01-14 11:28) 

collet

★makiちゃんへ
ここね、初めてマイカーで行かれる方は要注意なの~~!(^^)!
まあ最近は、架橋問題で全国的にも知られたでしょうが、
知らないうちに路地に入り込み、うちの車も被害に遭ったことがあり・・・
町並みを壊さないためにも架橋は必要か!?

それから、makiちゃんのを真似て動画にしたかったけど~(~o~)
今回は写真で、尾道のお好み焼きのレポをしてきたので、
次のページも見てみてね~~(^o^)/


★まぐろさんへ
わたしもそれほど入念に下調べはしないんですよ。
ただ、こちらは何度も行ってるもので~~(^^ゞ
でも、数年ぶりだったので変わってる所もあり、面白かったです~♪

とにかく細い道なので、運転に自信がないと走れません。
バックなんて日常茶飯事ですもん~(>_<)
by collet (2011-01-14 11:50) 

sarahe

広島県には数回訪れましたが、全て仕事がらみで広島市街と東広島のみ。その他の街を見て歩く余裕もなく、寂しかったです。

福山・尾道・・・尾道はラーメンと坂・階段・猫・港町、福山は???イメージが湧いて来ません。こんな昔ながらの街並みが残っているなんて、思いもしませんでした。

こうしてみると、何らかのイメージがないと旅に出てみようと言う気にならないですね。

ところで・・・温泉はどちらへ?
by sarahe (2011-01-14 13:32) 

collet

★saraheさんへ
岡山赴任中に広島へもお立寄りでしたか~^^;

ここ鞆の浦は、福山市ではありますが、少し離れた海沿いの街です。
そして、美味しい食事と鞆の浦温泉があるのです~(^^♪
そういうわけで、関西からの観光客は多いと思います。

ところで尾道ですが、最近はイメージが随分変わってますよ。
やはり朝の連ドラ「てっぱん」の影響でしょうが・・・
saraheさんがあげてくれたイメージに映画とお好み焼きがプラスされてます~(^^ゞ
よろしければ、次のページもご覧くださいませね~~

★あんぱんち〜さんお立寄りありがとうございます~^^;
by collet (2011-01-14 15:38) 

たいちさん

私も一昨年12月に「鞆の浦」へ行きましたよ。狭い町なので半日あれば観光できましたが、道幅が狭く車が渋滞した記憶がありますね。
by たいちさん (2011-01-14 21:15) 

collet

★Bonheurさんこちらにもお立寄りありがとうございます~^^;

★たいちさんへ
そうでした!
たいちさんも行かれて記事を読ませていただいたんだった~(~o~)
で、あの時はマイカーではなかったですよね。
とにかく、西からこちらに入る時は、
気を付けなきゃ細い道を通ることになるので要注意です~~!(^^)!
by collet (2011-01-15 12:12) 

雀翁

その昔、太宰府は遠い遠いところだったのですね。朝鮮通信使がこの鞆の浦で接待を受け、その景色と共に絶賛した記録があるというのは何かで読んだような気もしますが、「日東第一形勝」とは持ち上げたものですね。日本にはこんな美しいところが無数にあるような気がします(そうであって欲しい)。

by 雀翁 (2011-01-18 09:08) 

dolfin

コメントが遅くなってすいません。自分の記事を書くのに必死になってしまって・・・(^^ゞ。
鞆の浦は福山市にあるんですかア。知りませんでした。
風情があるというか、情緒があるところなんですねー。
自分もぼーっと海を眺めてみたいと思いますが、今だと寒そうですねー(^-^)。
by dolfin (2011-01-18 22:03) 

collet

★雀翁さんへ
>「日東第一形勝」とは持ち上げたものですね
そうですね~確かに持ち上げ過ぎかも~(~o~)
でも、朝鮮通信使が江戸まで行くのに観た景色の中では、
1番のお気に入りだったかもですよ~

★mint_teaさんこちらにもお立寄りありがとうございます~^^;

★dolfinさんへ
>自分の記事を書くのに必死になってしまって・・・(^^ゞ
どう致しまして~~(^^ゞ
とても詳しい記事で何も知らないわたしなど、勉強になりましたよ!

>自分もぼーっと海を眺めてみたい
そうそう!そんなことができる所ですよ!
きっと、宮崎監督もそうだったんじゃないかしら?
by collet (2011-01-19 11:49) 

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